さとうみどりのイラストレーター物語

VOL.7・・・2002.05.09


パートタイマーでイラストレーターの仕事をしつつ人脈をひろげようと思っていた。しかし現実は厳しい。そんな仕事ありはしない。
就職した企画会社の仕事内容もイラストレーターがいるような仕事はほとんどなかった。
そうそう、うどん屋さんのメニューのポップの仕事を社長が私のために受けてくださり、そこでのデビューは“カキ氷”と“うなぎ”のポップのイラストが第一号となった。
その話しは日野がよく講演で、ほっと一息つけるためのお笑いねたになっているらしいが、当時それでも一生懸命だった私は、いろんなうなぎやカキ氷を苦心して仕上げた。
いろんな人の現状を聞いてみると広島ではイラストレーターとしての仕事はほぼ皆無に近いらしいことがわかった。デザイナーと兼務している人が多かった。

あるイラストレーターが助手を探していたのでそこに勤めさせてもらおうかとも思ったが、そこで何を学びたいのか答えが出ず、日野のいたそのオフィスで黙々と雑用をこなすことがせいいいっぱいだった。
実はとっても臆病な私ははじめの一歩がなかなか踏み出せずいた。
そしてさきを走ってる人の助手をしたら何かつかめるかもしれないけどアピールが出来ずにいた。
そのイラストレーターが主催していた業界の人がくる交流会に行ってみたりはしていたが、話べた口下手の私は静かにその場にいるだけでせいいっぱい。

イラスト・さとうみどり
何も変わらぬまま毎日パートが終われば東京の雑誌社に投稿の日々を送っていた。
なぜかそれだけは何のためらいもなくどんな作品でも送れた。
東京の全国紙があまりにも遠い距離があったが引っかかったらラッキー。当たらない宝くじを毎回買って万が一という思いに似ていた。自分さえがんばれば何とかなる!ものにかんしては貪欲だった。この先どうなるかは見通しすらなかったが、臆病だが楽天的な私は「きっといつかは有名になるんだ!全国紙に描くんだ!」と毎晩有名になって多忙になる自分を想像しながら眠っていた。
子供のころから不思議なんだけど寝る前に羊を数えるのと同じように夢を想像しながら眠りにつく癖があった。商売をしてる将来の姿を考えたり時には幸せなお嫁さん。
大人になっても相変わらずいろんなことを空想しては眠りについていた。
毎晩頭の中で将来の自分のビジュアルをイメージしていた。
企画会社に勤めはじめそろそろ3ヶ月くらいたったころだろうか相変わらず仕事は雑用ばかりで少々くさっていたころ同僚の日野から「フリーペーパーをつくらないか」と誘われた。
面白そうなこととイラストがかけてそれを見てくれる人がいるのならやってもいいかという思いとでひとつ返事でOKした。それがどうころんだか日野は会社をやめて本気で何かしようとし始め、ことの成り行きで私も便乗してとうとう一緒に会社を興す羽目になってしまった。
この期間、かなり長くそのときは感じられたが期間にしてみたらたった1ヶ月で友達でもなかった二人が出会ってから4ヶ月目になけなしのお金でワンルームをかり会社を設立した。
会社を設立する意味があるかもわからないままの起業だった。振り返ると無茶としかいいようがない。


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株式会社ハー・ストーリィ
イラストレーター・さとうみどり

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