さとうみどりのイラストレーター物語

VOL.11・・・2003.05.20


会社案内を出すあてのほとんどない私はイラストを使ってもらいたい企業を中心に営業した。特別イラストがうまいわけでもない私にそうそう指名で仕事がくるわけでもなく反応はない。前職のイベント会社にももちろん送った。そしてアポ取りの電話も忘れず。「主婦あつめて何が出来るの、まー、がんばって」反応は散々だ。それはそうだ。そこに再就職したいきさつも含め中途半端な私を知り尽くされている。
話はそれますが、イラストレーターの私が会社興しにのったいきさつもそこにある気がします。「主婦だから、母親だからでくくられたくない。いつか立派に仕事して見返したい!!」
20歳のときに就職、21歳で舞台美術会社勤務2年目で知り合った関連会社の人と結婚。当時テレビのセット作りとAD(アシスタントディレクター)をやっていた私は仕事の面白さがようやくわかりかけていたころだった。
テレビの仕事は朝から夜中まで常に体を動かしている。大工さんのようにセットを組んだり重いものをもったりと肉体労働が主だった。まわりはすべて男だらけ、その会社で第一号の女性社員だった。女性の感性をだしつつ仕事は男の人たちと対等にやりあえる。面白くないわけがない。しかし私は結婚を選び出産を決意し退職した。
そんなこんなで仕事に未練を残しながらも結婚を選んだのにあっけなく3年で離婚になった。夫の方から切り出された離婚だった。今から20年近く前、世の中では離婚はまだ珍しい出来事で、まさか自分の身にふりかかるとは・・・

昔はこんな感じで、パステルでの
着色の発注が多かったのです。
このイラストは美容院チェーンの
会社案内ツールに使用されました。
なかなか諦めがつかなかった。自分自身子どもだったこともあり、何がなんだかわからなく全部他人のせいにして泣き明かしていた。友達には「もう前を向いて歩かなきゃ、別な人生歩いていかなきゃ、あの人はあなたには合わなかったの」なんて慰められても聞く耳をもたなかった。“結婚したら幸せにしてもらえる”と思い込んでいたのだからしかたない。今思えばものすごい他力本願型の自分だった。
結婚していた間の専業主婦時代は周りの人間をうらやみ、子どもが小さく働くことの出来なかった私はずーっと仕事に未練ばかり募っていた。「いつかは仕事がしたい!なにかしたい!」と思っていた。子どもが2歳になったのを機にパートで就職雑誌の編集部に。まちにまった再就職だった。
働きに出はじめ少し落ち着き始めた矢先の離婚問題。今度は何もかもに手がつかなくなりあれだけ働きたくて探したその職場なのに自分勝手にやめた。「いつかは仕事がしたい」で選んだ仕事のはずだったのに・・・・

今見るとなんだか新鮮な絵ですね。
色と色を重ねて新しい色を指で擦りながら作るパステルの絵は
結構な肉体労働でした。
パソコンでは味わえない手作業でのだいご味です。

半年くらいたっただろうか“もうそろそろ立ち直らなきゃ”と前職に戻ろうと舞台美術会社に電話をし、パートで再就職の面接に。
「働きたい!仕事したい!」が「働かなきゃ生きてはいけない」に変わったとき、子どもを育てるための必須の仕事が今度はすごく重く肩にのしかかってきてまた悩み始める・・・勝手なものだ。子持ちでADにもどれるはずもなく看板書きの助手の職。
何も自分は変わってないつもりなのに“子どもがいること”が女性が職を手に入れることに大きく作用することを肌で感じ、そのとき「やっぱり何か手につけなきゃ!」と色々模索し勉強していた。夜な夜な少しづつイラストを描き始めたのもその頃だった。


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株式会社ハー・ストーリィ
イラストレーター・さとうみどり

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